日光東照宮(栃木県日光市山内)

1630年(寛永七年)10月5日の今日は、藤堂高虎の命日です。

藤堂高虎は身長190cm、体重110kgという屈強な体格をいかして、敵兵を蹴散らす猛将でした。
また、頭脳明晰で築城技術は戦国で三本の指に数えられています。

知勇兼備の傑物であったものの、主君を七度も変えたことで「不義理者」という印象を持っている方もいるでしょう。
とはいえ、高虎は最後の主君の家康には忠義を貫きました。


家康にとって負けられない戦となった「関ヶ原の合戦」、そして「大阪の陣」ではいずれも高虎の奮戦する姿がありました。
特に関ヶ原の合戦では、東軍勝利に大きく貢献しています。


そんな高虎を家康は深く信頼して、死に際に立ち会うことを許しています。
「わしが死んだら、宗派の違うお前とは二度と会えないだろうな」
この言葉を聞いた高虎は、その場で日蓮宗から家康の信仰する天台宗に改宗したそうです。


高虎は晩年を、家康を祀る日光東照宮の建立に費やしました。
境内を歩きつつ、亡き主君のため全身全霊をこめて社殿を造っている高虎の姿を思い浮かべたら、きっと不義理者の印象が変わることでしょう。




日光東照宮は、日本の歴史を知るのに1度は訪れたい場所です。
建物の装飾が素晴らしいです。
たくさんの人が訪れていたので、高虎も喜んでいるのではないでしょうか。


【今日の人物】

藤堂高虎(とうどうたかとら)

安土桃山~江戸時代の武将。
浅井長政、豊臣秀吉などに仕えたあとに、徳川家康の家臣となりました。
大阪夏の陣では、真田幸村の決死の特攻から家康を守り抜いています。
晩年は家康を祀る日光東照宮の建立に尽力しました。



【オススメの本】
江宮 隆之さんの
「藤堂高虎という生き方」
が面白いです。


生涯に主君を7度も替えたと言われながらも、徳川家康の絶大な信頼を得た藤堂高虎。
なぜ裏切り者と蔑まれなかったのか?

その生き方から、勇気をもって生きることの覚悟を学ぶ、現代人へのメッセージがこもる1冊。


藤堂高虎は「二君にまえにみず」といわれる戦国時代で、7回も主君を変えている珍しい武士です。
そんな高虎の生涯が分かりやすく書かれていて、まっすぐで好感の持てる高虎を知ることができる本です。
章末のまとめは、社会人としての大切な部分を教えてくれました。


・・・ということで、今日は藤堂高虎が亡くなった日。
武士のプライドを捨てて能や築城のプロに教えを請けていた高虎のように、私も素直に「教えて下さい」と言えるように頑張ります!!